はじめまして、TAMANONEです!

はじめまして、TAMANONEの藤原です。

今日のブログでは、私がTAMANONEをつくるきっかけになったことをお話ししたいと思います。

私は人生の分岐点をアメリカで過ごすことが多くありました。
1度目は、学生時代ウェストバージア州。
ウェストバージニアは、当時、全米で一番貧しい州と言われていて、私が住んでいた町からスターバックスに行くには、車で2時間かかりました。

2度目は、結婚後、ケンタッキー州。
ウェストバージニアに比べたら、少し都会へ。
当時は、家からスターバックスへ、車で50分。

3度目は、2人目の子どもが生まれた後、テキサス州。
さらに都会へ。
家からスターバックスへは、車で15分!

アメリカと聞いて想像するようなキラキラしたニューヨークや、ロスアンジェルスのような大都会とは縁のない私ですが、代わりに、田舎ならではの楽しみもありました。
週末はとにかく家で肉を焼くとか、ケンタッキーからシカゴまで片道6時間車でラーメンを食べに行ったり、テキサスからグランドキャニオンまで片道12時間のロードトリップをしたり。。

そんな田舎生活ですが、そこでさまざまな人と出会いました。
南北戦争があったアメリカは、いまだに当時の文化の名残りが色濃いところも多く、また、移民の人たちにも多く会いました。

今日は、TAMANONE誕生のお話しなので、その中の1人、イランからの移民の女性のお話しをします。

その女性には、私が3度目のアメリカ生活で出会いました。
彼女は、15歳の時に、双子の姉妹と2人でアメリカへ移住しました。
理由は、戦争。
戦火を逃れて子どもだけでアメリカへ逃れ、生活の基盤をアメリカで整え、家族を呼び寄せました。
今では、妹さんとお母さんがカリフォルニア州で住んでいます。
彼女は同じくイラン人の男性と結婚し、3人の子供を立派に育てています。

彼女は私に、なぜアメリカへ来たのか、とても朗らかに笑いながら話してくれました。
でも、その内容は壮絶で、平和ボケしていた私には衝撃的でした。

治安も政情も良くない国に家族を残していく気持ちってどんなだろう?
また、その子どもたちを送り出す家族の気持ちって?

想像しただけでも恐ろしくて、
当時胸にペンダントとしてつけていた父からもらったベビーリングが、
どんどん重くなっていったのを今でも鮮明に覚えています。
同時に、気が付いてはいたけど、ちゃんと受け止めずにいた両親からの愛情や、感謝の気持ち、その時一緒にアメリカにいた家族への想いを改めて思い直す瞬間でした。

その後から、胸につけるベビーリングの意味合いが変化しました。
私の両親からの愛情、それに、私から夫や子どもたちへの想いが込められ、アクセサリーとしてのジュエリーよりももっと強い自家製パワーストーンのような存在となりました。

これが、TAMANONE誕生のお話です。

 

写真:
セドナのカテドラルロック。ブログ内容には一致しないけど、パワーを送ります!